まいにち七転八倒

関西ですきなことして生きてる会社員♀です。2018年夏、重症筋無力症の診断を受けました。

思っていることとか、書きなぐり

しんどいんです

体調が悪いとかじゃないんです。

ひたすら、心持ちとか、体の重さとか、そういうのなんです。

というか、生活してくのがしんどいんです。

 

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2週間ぐらいどっかに逃げたいな、なんてふと思うのと同時に、2週間逃げたところでなんにも変わらないんだろうなっていうのを思い。

たまたま病気になったから休むのが許されやすくなっただけで。

わたしは。それに甘えて。

 

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自己肯定感が低いんですよね。

その話をこないだ友達と飲みながら話してたんですけど、「結局評価する軸を全部自分にしちゃわないと駄目だよ。まったく自分しかいない世界の中で、自分を評価しなくちゃ」と言われました。

他人の評価軸で自分を評価するからしんどいんだし、自己肯定感もあがらないんだと。

超、真っ当なこと言ってるなとは思いました。

でもわたしはそれができない。

まったく自分の世界に閉じこもって、自分を評価するならば、「さっさといなくなったほうがいい」以上でも以下でもなくなってしまう。

うだうだもやもや考えている自分自身、しゅっとなくなって消えてしまえばいいと思ちゃうんです。

 

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恋人は、わたしに「生きてさえくれればいい」と言います。

それって、めちゃめちゃありがたいことだし、考えようによったら最高に愛されてんなぁとも思います。

でも、それを全面的にありがとうで受け止められない。

わたしが生きてる、まぁ一緒に住んでる、だけであなたは本当にそれでいいの?そんなことってある?あなたは、それで一体なにがいいの??

…その「良さ」はたぶん恋人本人にしかわからないのであって、わたしがそれを全部理解するのは無理だとしても、すこしはわかりたいんですよ。

じゃないと、わたしが苦しい。

 

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とかなんとか考えてる、自分がしんどいです。結局自分はそんなに大事じゃないんだけど、「自分の大事な人が苦しむのがイヤ」なんです。

「わたしが苦しんでいる」ことはわたしがいなくなっちゃえば全然問題ないんですけど、”「わたしが苦しんでいる」ことで間接的/直接的に「わたしの大事な人が苦しむ」”っていうのは無理なんです。

 

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わたしは、自分で自分のことが決められない。わからない。

だって、自分はどうでもいいんだもの。死のうが、生きようが。

その上で治るかどうかよくわからん、治ってるかどうかもよくわからん、そもそもいったい何を治療してるのかもよくわからん状況で。

なにが現時点での最良かもわからず。

いや、最良は今後探ってさがしていけばいいんでしょうけど、「どうでもいい」が根底にあるので、えいやっ、無理だな、になっちゃうんですよ。

頑張れないのか頑張ってないのかもわからない。

そんな人間なのに、ランニングコストすら高い。え、なにこれ、もったいなっ、死ぬ?みたいな。

 

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やっぱり休んだほうがいいのかなぁ。

でもすごく甘えだな。